《カイロプラクティックのスーパードクター(前編)/カイロプラクター大木信之》

当院に来院されている患者さんはもしかしたら目にしたことがあるかもしれないこの方、
(誰の写真かな?)と思っていた方も多かったんではないでしょうか。

カイロプラクティックのスーパードクター(前編)/カイロプラクター大木信之

実はカイロプラクティックの歴史に残るスーパードクターだったんです。
今回はDr.クリアランス・ガンステッドについて紹介させて頂きます。


クリアランス・セルマー・ガンステッドは1898年、アメリカ・サウスダコタ州に誕生しました。
家の農場の手伝いのため高校も途中で辞めさせられてしまうような環境でした。
その後農場関連機器の会社で彼の機械操作に対する優れた認識眼を認められ主任に抜擢されます。
しかしここでガンステッドに不運が襲います。重度のリウマチ性関節炎を患ったのです。
途方に暮れた家族は解決策を探すべく伝統的医学を試すのですが、この進行性の疾患にはあまり効果がありませんでした。その後様々な治療法を探し求める中で最終的にカイロプラクティックに巡り合うのです。この時に治療を担ったのがJ.B.オルセンというカイロプラクターだったのです。
ガンステッドはオルセンのカイロプラクティック・アジャストメントを受けたことでリウマチ性関節炎から驚くべき回復をみせました。
この経験とオルソンからの奨めもあり、パーマー・スクール・オブ・カイロプラクティックに入学することを決意したのでした。


1926年にパーマー大学を卒業するとウィスコンシン州の小さな田舎町であるマウントハーブで開業しました。この地域はノルウェーの移民が多かった事から、ノルウェー移民のガンステッドがその地を選んだのも全くの偶然というわけではないでしょう。
ガンステッドの備え持った資質である、患者へ献身する姿は周辺の農場社会に広まり診療も拡がっていったのです。


そんな中、1918年「スペイン風邪」が世界中で猛威を振るいます。
これによる死亡者数は第一次世界大戦の総死者数を上回るという甚大な被害をもたらしました。
アメリカでも当時医師達は混乱し、患者を隔離して安静にさせる以外手段が無かったのです。
そんな中ガンステッドはどんな病気であろうと全ての患者を診ることを誓い、風邪を患いベッドから出ることも出来ない人には診療後家を訪れアジャストメントを行ったのです。
このレベルの治療を超えた献身は多くの人々の命を救い、彼の評判をより高いものにしたのでした。


引用図書 ジョン・コックスD.C. 松久正D.C.,M.D.:ガンステッドカイロプラクティックの真髄. 医道の日本社, 2005:2−7.

《名前》
大木信之 D.C.(おおきのぶゆき)

《出身校・専攻》
CCEA(大洋州カイロプラクティック教育審議会)国際認証校
東京カレッジ・オブ・カイロプラクティック(TCC)
(旧 豪州ロイヤルメルボルン工科大学(RMIT)日本校)(D.C.Program)卒

《学位・称号・資格》
Doctor of Chiropractic(D.C.)
ドクター・オブ・カイロプラクティック

《国際公認試験》
NBCE支援 IBCE協力 JCR主催 第十二回カイロプラクティック統一試験 SPEC臨床能力判定試験 合格(国際公認試験)

《所属団体》
世界保健機関(WHO)加盟
世界カイロプラクティック連合(WFC)日本代表団体
一般社団法人
日本カイロプラクターズ協会(JAC)正会員

《メッセージ》
初めまして、カイロプラクターの大木信之です。
カイロプラクティックの考えのベースにあるのは人それぞれが本来持っている治る力(自然治癒力)です。
人は得てして身体の様々な問題に対し外部からの解決方法にばかり頼りがちです。
しかし答えは自分自身の身体の内側にあるものなのです。
考え方が変わり生活も変わればまた身体も変わっていきます。
自分の身体を信頼する、そのきっかけにカイロプラクティックをお薦めします。

大木 信之


ご予約の際は、
「大木のブログを読んだ!」
と、お伝えいただけましたらスムーズです。
よろしくお願い致します。

【お問い合わせは下記へ…】

一般 小児 各種スポーツ障害
WHO基準カイロプラクティック
庵原 崇カイロプラクティックオフィス
ホームページ
https://www.iohara-chiro.jp/
〒453-0015
名古屋市中村区椿町16-7 カジヤマBL 5階
Tel 052-459-5252(良く動く骨骨(コツコツ))
Mail ‭mailto:info@iohara-chiro.jp