《カイロプラクティックのスーパードクター (後編)/ カイロプラクター大木信之》

前回の(前編)はドクターガンステッドの生い立ちからカイロプラクターとしての始まり、成長、そして当時流行したスペイン風邪に対する対応などを中心に紹介させていただきました。後編ではクリニックの拡大そして今も語り継がれるガンステッドカイロプラクティック・クリニックの詳細についてお話ししていきます。

《カイロプラクティックのスーパードクター (後編)/ カイロプラクター大木信之》

1918年スペイン風邪の世界的な流行に際し、文字通り全身全霊で施術を行い人々の信頼を得たガンステッドの評判はどんどん高まっていった。
その為クリニックには朝から順番待ちの列ができ患者が彼の到着を待ちわびている状態で、そのすべての患者を診るためには1日に12〜14時間働かざるを得なくなっていました。
また当時オフィスを構えていたビルの他のスペースを占拠していくようになるのにもそう時間はかかりませんでした。
そういった背景から1939年に最初のガンステッド・クリニックがマウント・ホレブのダウンタウンに建てられたのです。そのクリニックには4つの施術室があり、そのほかにレントゲン室や問診室までもが備えられたものでした。
実際ガンステッドは見栄えのいいオフィスのためにスペースを無駄に使うのではなく、それらのスペースも患者を診る部屋として使うべきであると考え、常に患者の利益を第一に考えるカイロプラクターだったのです。

こうしたガンステッドの働きを支えていたのが妻のエルビラ・マイスター・ガンステッドです。2人はガンステッドが診療を始めて2年目に結婚しましたが、ガンステッドのカイロプラクーとしての人生には不可欠な存在でした。
ガンステッドが診療に集中する一方、妻は会計などの経営面でサポートしたのです。

その頃には患者の数は1日に80人を超え、1時間に8〜10人の割合で施術を行った。それでも彼は毎回来院患者の正確な状態を把握するために十分な時間を割いていた為に患者達の間では彼に診てもらうのに待つということはすっかり常識になっていた。
そして重要なことは、ガンステッドは決して患者の病気を治療するというスタンスをとらなかったことです。カイロプラクティックで人々に奉仕するためにアジャストメントを与えていたのです。その最高の奉仕をするためには時間が後に押してしまっても十分な時間を割いたのでした。

《カイロプラクティックのスーパードクター (後編)/ カイロプラクター大木信之》

その後もどんどん患者数は膨れ上がり全ての患者を診る時間がない上に、他の多くのカイロプラクターが彼の教えを請うようになってきた為ガンステッドはさらに大きいクリニックを作り、自分以外のドクターを仲間に加えることを考え始めました。
そうして彼は建築家と共に新しいガンステッドクリニックのデザインをしたのです。
当時マウント・ホレブには小さな宿泊施設しかなく、遠路はるばる訪れてくる患者達は地元の患者の家に宿泊を依頼していたような状態でした。
そこでガンステッドはクリニックと一緒に宿泊施設の建設も決意したのでした。

《カイロプラクティックのスーパードクター (後編)/ カイロプラクター大木信之》

1962年マウント・ホレブの町外れにガンステッド・カイロプラクティッククリニックの建設が始まりました。
クリニックは約5565平方メートルの広さを誇り、11のアジャストメントルーム、検査室、レントゲン室、100席を超える待合室に地下は会計室、セミナー用の200席を超えるメイン会議室、それに加えスタッフとインターン用のキッチンも備えられていました。
またカイロプラクティック大学の新卒カイロプラクティックドクターに対し、クリニックでレントゲン撮影等の最高6ヶ月間の研修を行うという構想を持ち彼らの将来の診療に役立てることを願ったのです。
クリニックの建設が始まって間もなく着工された宿泊施設にはスイートルーム、ハネムーンルームを含む76室が設けられた。その他にキッチンとバー、宴会場、ゲームルーム、サウナが付いた室内プール、そしてラウンジルームなどを備えたウィスコンシン州で最も充実した設備がある施設になったのです。
ガンステッドはその宿泊施設の名前ににノルウェー語で「心労を置いていきましょう」という意味を持つ “カラカウル“ を選びました。
そうして完成したクリニックはカイロプラクティックの歴史上最も大きいクリニックとなったのです。
またガンステッドは独自のガンステッドシステムを確立し、そのテクニックは現在世界中で広まり多くのカイロプラクターにより実践されています。

引用図書
ジョン・コックスD.C. 松久正D.C.,M.D.:ガンステッドカイロプラクティックの真髄. 医道の日本社, 2005:2−7.

《カイロプラクティックのスーパードクター (後編)/ カイロプラクター大木信之》

《名前》
大木信之 D.C.(おおきのぶゆき)

《出身校・専攻》
CCEA(大洋州カイロプラクティック教育審議会)国際認証校
東京カレッジ・オブ・カイロプラクティック(TCC)
(旧 豪州ロイヤルメルボルン工科大学(RMIT)日本校)(D.C.Program)卒

《学位・称号・資格》
Doctor of Chiropractic(D.C.)
ドクター・オブ・カイロプラクティック

《国際公認試験》
NBCE支援 IBCE協力 JCR主催 第十二回カイロプラクティック統一試験 SPEC臨床能力判定試験 合格(国際公認試験)

《所属団体》
世界保健機関(WHO)加盟
世界カイロプラクティック連合(WFC)日本代表団体
一般社団法人
日本カイロプラクターズ協会(JAC)正会員

《メッセージ》
初めまして、カイロプラクターの大木信之です。
カイロプラクティックの考えのベースにあるのは人それぞれが本来持っている治る力(自然治癒力)です。
人は得てして身体の様々な問題に対し外部からの解決方法にばかり頼りがちです。
しかし答えは自分自身の身体の内側にあるものなのです。
考え方が変わり生活も変わればまた身体も変わっていきます。
自分の身体を信頼する、そのきっかけにカイロプラクティックをお薦めします。

大木 信之

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